2010年10月14日、福岡サンパレスにて福岡県外国人技能実習生受入組合連絡協議会主催による第2回外国人技能実習生
日本語作文発表コンクールが開催された。弊組合からは組合10期生となる杜明明さんが、300を超える応募作品の中からみごと
選考を勝ち抜き、日本語作文コンクール作品発表の晴れ舞台へ立った。
300を超える応募作品を勝ち抜き、入賞を果たす
福岡県においては今回で2回目を
迎える外国人技能実習生日本語作文
発表コンクールには300を超える作品が
寄せられた。
その中で、選考委員会により厳選
された10作品のみが最終選考会出場
の切符を得ることができる。
杜さんの作品は30倍という壁をみごと打ち破り、最終選考会という作品発表の舞台を勝ち取った。
杜さんは最終選考参加者10人中、
3番目の発表となった。
作品のテーマは「永遠の大空」。
多くの審査員や観衆に囲まれての
緊張の発表となったが、杜さんは終始落ち着いた表情で、
気持ちをいっぱいに込めて、昨年ガンのため中国で亡くなられた母親への感謝に溢れた熱い
気持ちを語った。
永遠に受け継がれて行く母より学んだ「心の大空」
彼女の母親は自らの病気の事、残された命が永くない事を知りつつも、その事を娘である杜さんには一切告げず彼女を日本への3年間の研修へ送り出したそうだ。
一方、杜さんは家族を助けたいと、日本行きを強く希望したのだ。
日本での研修に勤しむ杜さん、ある日母親の声が聞きたくて中国の実家へ電話をかけたが、連絡が取れない。その後、何日も
連絡が取れない状態に不安を覚えた杜さんのもとに弟からのメールが届いた。そこで見たのは「母危篤」の文字だった。
急いで帰国し、母のいる病室に駆け込んだ杜さん、その杜さんを見た彼女の母親は瀕死の状態にもかかわらず、「どうして帰って来たの!すぐ日本に戻りなさい!」と声を振り絞って彼女を怒鳴ったそうだ。
実は彼女の母親は自分の入院の事は日本で研修をしている娘にはたとえ恨まれる事になっても絶対に知らせてはいけないと、息子に強く言っていたのだ。そのため彼女の弟は姉に連絡すべきかどうか悩み、連絡がおそくなったのだ。
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緊張の面持ちで発表を待つ杜さん |
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母への思いを語る杜さん |
そして、そこには「娘の夢である研修を自分のために途中で
切りやめて帰ってこさせるわけにはいかない、日本へ行く娘を
見送った日、これが娘との最後になるだろうと覚悟を決めたの
だから」といった娘を思う母の痛いほど強い愛があったのだ。
「早く日本に戻りなさい!」と凄む母親に、会社にはちゃんと一時
帰国の許可をもらってあることを説明すると、母親は安心した様子を
見せ、自分のため帰ってくれた娘、もう二度と会えないだろうと覚悟
していたむすめを弱々しく抱きしめた。
衰弱した母の姿と今まで病気の事を知らずに過ごしてきた母への対する申し訳ない思いに涙とともに杜さんの口を突いてきた言葉は「お母さん、今までごめんね。私、もうずっとここにいる。ずっと
お母さんの傍にいる…」だった。
その言葉を聞いた彼女の母は「(研修は)あなたが選んだ道でしょう。最後まで歩みなさい」と声を絞って言ったそうだ。自らの死を前にして尚、娘の夢・未来を思う母親の深い愛を、その時彼女は改めて感じ入ったと言う。
その後、杜さんの母親は家族に看取られてこの世を去った。
母の葬式を済ませた杜さんは涙を拭って再び日本に戻ってきた。そこには母親が最後まで娘を思い託した「夢を諦めないで」
との願いがあったからだ。
実は杜さん自身も一児の母であり、中国には何にかえても守りたいまだ小さな愛する息子さんがいる。その息子さんに夢を諦めない母親の後姿を見せるためにも、残された研修を最後まで頑張るのだと悟っていた。
杜さんは作文の最後に次のように締めくくっている。
「人は皆、生まれた時から母親という大空の下で、愛の光に包まれて育ちます。皆さんも母の愛の偉大さを感じてみて下さい。私の母はもういませんが、心の大空は私から子へ、子から孫へと永遠に受け継がれていくことでしょう!」
発表が終わって少しの間、会場には沈黙が流れた。
ハンカチで感動の涙を拭う人たちが、鼻をすする音があちこちで聞こえた。
そして、次の瞬間会場は大きな拍手の渦に包まれた。
見事に優良賞を受賞
杜さんの作品は見事に優良賞を受賞。母への熱い気持ちを日本語にして、聞く人全てに感動を与えた彼女の発表は大成功に
終わったと言えるだろう。
作文コンクールは単に実習生たちの日本語能力を試す場ではない。このコンクール参加を通じて、参加者たちは日本語の
構想力、表現力、皆に自らの意思を伝える発表の喜び、達成感、そして感動を学ぶ。
それらの経験が彼らをより高いレベルへと成長させてくれるのだ。来年も組合を代表して、予選を勝ち抜き本戦へと進む参加者が現れることを強く願っている。
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